2011年01月16日

158日目 The helper role comes from believing I am destructive.

【本日のレッスン】

The helper role comes from believing I am destructive.

「世話をする人」の役割は、自分が破壊的だという観念からくる


【覚え書き】

自分がヒーラー(癒す人)の役割をしなければならない
と感じている人はだれでも、心理力学的にいって
ある独自の観念を持っています。

その観念とは、ずっと以前に自分が何かの痛みの原因になってしまったとか
とても助けを必要としている人がいたのに自分は助けることが出来なかった
というものです。

自分が悪いという観念は誤解なのですが
内なる子供にはそれがわかりません。

子供のときは、周囲の破壊的な状況、あるいは病気や死を
みんな自分のせいだと思ってしまうのです。

そこで後になって、ヒーラーの役割を身につけるのです。



世話する人の役割から真に癒されたヒーラーになるには
大きな一歩を踏み出して
ついに受け取ることをはじめる必要があります。

そうすると今助けているよりも
ずっと多くの人々を助けるための強さとヴィジョンを
持つことが出来るのです。

それによって人との関係でも、役割から抜け出すことができ
パートナーにもっと敏感にこたえられると同時に
周りの世界からより多くの愛と感謝を受け取ることが
出来るようになるのです。


【思うところ】

私が心理学の世界に入った理由はいくつかありますが
そのひとつに、この「真に癒されたヒーラー」に
なりたかったから、だと思います。

当時の私は、自分に関わる全ての人を助けたくて
しかし、実際にはそれは到底不可能で
そんな自分を責めまくっていました。

そして、方々で燃え尽き
力尽きようとしていたのです。


自分を激しく責めながらも
この不毛な消耗戦に疑問を持っていたのですが
この疑問を認める事は出来ませんでした。

こんな事はおかしい、と思ってしまったら
それまでの自分の頑張り(という名の犠牲)を
自ら否定するようなものだからです。

少なからず、役に立てたであろうことも
自ら否定するようにも思えたのです。

それでも、私は心理学の世界に足を
突っ込み続けたのでした。

ものすごい疲れと
今までの頑張りを否定するのでは?という恐怖と
よくわからないけどこの世界に私を救う何かがあるのでは?という希望を
抱えながら、スクールや色々な団体のセミナーに通い続けたのです。

スクール等に通いながら、ずっと身を持って
体感させられ続けたことは
「受け取る」ことでした。

ものすごく疲れていながらも
「あなたはよく頑張ってきましたよね」
「もう自分を否定しなくてもいいんですよ」
という言葉を受け入れられなかったのです。

それを受け入れてしまったら
さらにダメな人間になってしまう。

そう怖れていたのです。

ここに、偽りの、犠牲の「ヒーラー」という役割の
原点があったのですが、最初は全くわかりませんでした。

自分はダメな人間だから、せめて微力ながらも
ひと様のお役になってナンボでしょ。

という観念に、長年、当たり前のように
囚われ続けていたからです。

いま思うと、相当の自分イジメのプロだったと
ある種、自画自賛(?笑)出来るのですが
当時はかなり深刻でした。

先の言葉を聞き入れるのに
泣きながら悶絶していましたからね^^;

心ではその言葉に癒されながらも
アタマが拒否しようと必死なわけです。

バリバリの左脳人間だった私にとって
ある種の拷問でしたね、スクールでの経験は。


で、たくさんの悶絶、泣き笑いを経て
偽りのヒーラーを手放していったと思います。

真に癒されたか、と問われるとそれはよくわかりませんし
そもそも人には計り知れない心の層がある
と言われているのでその全てを癒す前に人生が終わると思うので
答えは、Noなのでしょう。

でも、いまならば、偽りのヒーラーの役割にはまっている人に
手を差し伸べ、見守る強さを持ちえていると自負しています。

それは、自分がそこに不器用ながらも
向き合ってきたから。

沢山の人から差し出された贈り物を
今さらながらでも、受け取り続けているから。


世の中には、色々な癒しのツールがあります。
理論やグッズが主なものもありますし
実体験をベースにした手法もあります。

そのどれもが素晴らしいものですが
私は、自分が越えてきたものを提供することしか
出来ないな、と思うのです、良くも悪くも。

だから、私は歩みを止めることはないし
出来ないと思うのです。

この道中のゴールは
「真に癒されたヒーラー」なわけですが
道中そのものがゴールなのだ
とも思うのです。



posted by 真緒 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 151〜200日目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

157日目 In my relationship I can choose drama or I can choose creativity.

【本日のレッスン】

In my relationship I can choose drama or I can choose creativity.


「ドラマ」を選ぶか、「創造性」を選ぶか


【覚え書き】

ドラマがつくられる動機は2つあります。

ひとつはケンカをしていて

一方、あるいは両方がどんどんドラマチックなやり方で

自分の主張を繰り広げるために。

もうひとつは退屈な関係で、活気のない状態を

何とか抜け出そうとして、ドラマを作ります。

しかし、主導権争いも活気のない関係も

実は創造性を避けているだけなのです。


【思うところ】

物心ついたころから、私は周りの人
特に、母の顔色を窺う事が日課でした。

母は色々な意味で感情的で
いつ、何をきっかけに、そのスイッチが入るのか
私にはわからない人でした。

ですから、母が何事もなく過ごしていても
私はいつ爆発するかわからない怖さを抱えながら
腫れ物を扱うように、母に接していたのです。

ひとたび、母のスイッチが入ると
私は一方的に母の相手をしなければならず
またその内容が私にとっては理不尽極まりなかったのです。

ある時、いつものように一方的に
理不尽な事を言われている最中、私はふと
「あぁ。ウチの、母と娘の触れ合い、ってのはコレなんだな。」
と思ったのです。

そして、そう思った瞬間、自分に愕然としました。

私が、母との距離を一番近く感じられるのは
母から一方的に非難されているときだったのです。
それ以外の時間は、着かず離れずの距離で
母の動向を息を潜めて探っていたからです。

この関係、そして私のこの感覚は、おかしい。
そう思ったのが、高校生の時でした。

おかしい、とは思ったのですが
何をどうすればいいのか全くわからず
私は高校大学と進み、社会に出て
そこで心理学と出会い、今に至ります。

心理学と出会ったときには
私は人との距離感が全くわからなくなっていました。

いつも人の顔色を伺い、距離感をはかり続けていたことが
癖になっていて、友人知人に対しても
最初から、私の方から、彼らに距離を置くようになっていたのです。
そんな事をされたら、相手は不可解だったでしょうし
親しくなろうとは思わなかったと思います。

今ならば、それがわかるのですが
当時は何をどうすればいいのか、本当にわからなかったのです。
私と相手の両者の距離感を探しあいちょどよい距離感を創る
という発想が、私には全くなかったのです。

今でも、人との距離感に少し苦手意識はあります。
何せ、子供のときからずっと繰り返してきた癖なので無意識にやっている部分と
意識的に変えようと頑張っている分、うまく出来ているかな?
と不安になってしまう部分があるからです。

それでも、今ならば色々と試行錯誤して
人との距離感を探り、関係をそれなりに構築出来ていると思います。


創造性を選んで。
って言われても、知らなきゃ出来んよ。
というのが、本日のお題に対する率直なところですが(笑)

知らなければ出来ないことなのですが
悩む、のであるならば、そこを何とか改善したい
という気持ちの表れなのだと思うのです。

それは、何とか改善したい。という願望でありながら
何とか出来るのではないのか?という未来への希望と確信が
ご自身のなかに秘められているのだと思うのです。

だから、必ずや、何とかなります。
私は、そう信じております。

もし、何か心当りがあるならば
私は心からエールを贈ります。

越えたい、と思う壁ならば
必ずや越えられます。


【感謝とお詫び】

こちらのブログ、かなり放置プレイであるにも関わらず
毎日、かなりの一定数でご訪問頂いているようで
本当にありがたく、感謝多謝でございます。

昔は毎日のように更新していたときもあるのですが
今は、昔以上に、自分のなかで咀嚼してから
更新しようと思っていて
それに加えて最近、夜が何かと忙しく
放置ブログになってしまっております。

そんな感じではありますが
このブログは、私にとって師匠の教えを再確認する場でもあり
自分を掘り起こし、未来の在りたい自分へと繋げる場でもあります。

それがこのブログを訪問して下さる方たちの
何かの足しになれば、私は本当に幸いです。

基本的に、このブログは夜に更新すると思います。
しかも、不定期に^^;

で、このブログ参考になることもあるのよ、という事で
このブログを読まれているのでしたら
コチラのブログは(原則)毎朝更新しております。
こちらは、このブログとは趣旨は異なりますが
ワタクシ的には基本的なスタンスは同じです。

それと、いま流行りのツイッターでは
思いついた言葉やカードリーディングでお話したことを
つぶやいております。

ブログとツイッターは
人間関係も、仕事も、何もかもに途方にくれていた
昔の私自身への言葉でもあります。

それが、もし誰かのお役にたって
何かの変化のきっかけになれれば
私は自分のことをダダ漏れ(?)していて良かったな
と思えますし、そう思ってやっております。


そして、この超長い記事を
ここまで読んでくださったアナタ!
ありがとうございます。

どうぞ、これからも、よしなに。


posted by 真緒 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 151〜200日目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月05日

156日目 Any problem outside me can be healed within my relationship.

【本日のレッスン】

Any problem outside me can be healed within my relationship.


人間関係の外側の問題も、その関係内で癒すことができる


【覚え書き】

人間関係の外側で起きていることは、全て関係の内部の意識や

心のなかで起きていることの象徴や鏡としてみることが出来ます。

それはあなたの関係のなかで、まだ

つながっていないところを示してくれているのです。

もしあなたのまわりに何らかの欠乏があるのなら

関係の内部にも欠けているものがあるはずです。

それはもう自分が犠牲になっり、燃え尽きたりするのではなく

真実の意味で与え、受け取る時期がきたことを

教えてくれているのです。


【思うところ】

長年、母との間にある問題を
クリアすることに心血を注いできたわけなんですが
この1年ぐらいで気づき始めたのが、父との関係でした。

ウチはあまりにも母の影響力が大きかったので
父の存在が薄かったのですが
やはり母のパートナーであるだけあって
私にとっては、母と同様、私に色々な課題を
突きつけていた人なのでした。

それに私が長年気付けなかった、というか
そこまで余裕がなかった、という感じだったわけです。

父親、というものは、権威の象徴、と言われていて
仕事や成功、豊かさとの関係が
父親との関係にリンクします。

また、娘にとって、父親は異性であるため
異性との人間関係にもリンクしてきます。

この2点において、そろそろ
父親とのガチンコが必要か?!と思い始めた矢先
ちょっとしたイベントが組み込まれることになりまして。

さりげなく華麗にスルー出来なくもないのですが
おそらく父のことですから、超無意識層(無自覚ってやつです)で
引き寄せたイベントなのだと思うのですね。

なので、これは乗るしかないな、と思っています。
イベント自体は、そんなに大したことはないのですが
父にとっては格好の機会なんだろうな、と思います。
それに乗ることがいま必要な親孝行、と思うのです。

で、時期同じくして、友達も父親とのガチンコ
(私よりもハード)が浮上してきたようで。

友達も私と同じような理由で、そのネタが浮上してきたのが
よーーーーくわかりました。

2人で、苦笑いです。

避けていた課題は、必ずどこかで再浮上してきます。
その再浮上のタイミングは人それぞれですが
あまりにも避け続けていると
何故にこのタイミングよっ?!と
キレたくなるような時にやってきます(真緒リサーチ)。

ですから、何かしっくりしない関係があるのであれば
その課題に早めに取り組むことをオススメします。
実体験的に(笑)



posted by 真緒 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 151〜200日目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする